ライカの写真は何か違う。
そう感じる人は多いのか、こういったコメントを多方面で見かける。
その「何か」がよくわからなくて、いつも「なんかいい」で終わってしまう。それはそれで良いのだけど、先日読んだ本を読んでもう少し深く考えるようになった。
記事:『絵を見る技術-名画の構造を読み解く』を読んで。もっと早く読んでおけばよかった一冊。
絵画には技術や歴史、トレンド、主役を目立たせるためのスキルなどがたくさんある。
Leicaのレンズ・カメラで撮る写真は絵画に通ずるものがあるのではないか。レンズ設計に感じる哲学のヒントがあるのではないか。そう思って頭の中でまとまらないモヤモヤを文章化しながら考えてみた。
絵画とライカの写真で近いと思う点を以下に挙げてみる。
コントラスト
絵では明暗差・コントラストをつけて主役を引きたせる。
ライカのレンズは合焦部のコントラストを高め、アウトフォーカス部・背景はコントラストを絶妙に抑えて立体感を出しているそうだ。だから主役が引き立つ。
この写真は花に光が当たって美しさを感じて撮ったもの。実際の見た目以上に、フォーカス部で輝く花が強調され背景のアウトフォーカス部が暗めになった(写真はJPEGそのまま)。中央のアジサイの花が主役であることがより強調される。
周辺が全体的に暗めに写って合焦部(被写体)が明るく写る、というのがライカで撮ってるとよくある印象。
特にM10-Rを使い始めたとき、なかなか慣れなかったのだが、最近はフォーカス部の明るさに注意するようになった(じゃないと白飛びする)。
フォーカス部はコントラスト高めでより目立つような形になるので、そこで明るさを見た方がいいということなのかなと。よくわからないのだけど。
周辺減光
人は中央に目を引かれるが、その次は角らしい。画面の角に視線が引っ張られがちなので中央に戻すような効果が必要となる。
名画は四隅に注意が行き過ぎないように配慮しているとのこと。例えば何かを描いて視線が中央や主役に戻るようにしていたりする。
写真ではどうかと考えると、周辺減光がそれに当たるのかなと思う。
トンネル効果とも呼ばれるようだが、周辺が暗いために自然と中央の被写体に目がいく。
周辺が暗くなるのはレンズの仕組み上発生しうるが、それをあえて残し、中央の被写体に視線が行くようにしてるのだろうか、という仮説。。
ライカは最新のMレンズとMボディの組合せでも周辺光量落ちを残してるのってそういうことか?と感じた。Q2はそうじゃないから違うかもだけど。
周辺光量が落ちるときはかなり落ちる。フォーカス部の被写体が輝くような、より引き立つような写真になることがある。
ただ、どんな撮り方でも周辺減光するわけではないのでよくわからん。
フォーカス部のシャープさと周りの美しいボケ
ライカの記事で見かける、「絞る理由がなければ開放で撮って欲しい」というコメント。
隅までしっかり写るレンズもあるのだからボケが必要なとき以外は絞ってください、とは言わない。逆。できるだけ開放で撮って欲しい、とのこと。その時に1番性能が出るように設計している、と。
絵画では長い歴史の中でトレンドがあったそうだ。中世のおわり頃のゴシックと呼ばれた時代は絵のどこを見ても楽しめるよう隅々までディテールが描きこまれたものが主流だったらしい。一方、その後は主役への集中度を高めそれ以外の部分は細密描写を控えるようになった、らしい。
ライカで撮った写真は後者も意識してるのではないだろうか。ただしっかり写るレンズだけじゃなくて、アウトフォーカス部の美しさにもこだわっているように思う。ボケがなだらかで主役を引き立てるように思うのだ。フォーカス部のシャープさと、アウトフォーカス部のボケの美しさが効果的で、撮り手がどこに意識を持っていってたのかは写真を見ればわかる。
シャープさには指標があって、その点でライカのレンズは高性能を誇る。
一方でボケの美しさはスペックでは語れない。こだわっても数字で評価されにくいし、設計上も評価しにくいんじゃないかと思うんだけど、ライカ社はここにも哲学を持って取り組んでいるような気がする。
この両方があって、主役が引き立ちつつ全体的なバランスも整うのではないか。それは絵画と一緒なのではないか。
その他:構図について
名画は構図がしっかりしている。考え抜かれて描かれているそうだ。
写真の構図はレンズでどうこうできるものではなく、撮り手がコントロールすべきもの。
ライカ社の設計の方の話で、写真は撮って後でトリミングしたら良い、というのをどこかで読んだ。だから高画素化には意味がある、と。
写真は撮っておわりじゃなくて、後で必要な箇所をトリミングして作品を整えれば良いということだと思うが、逆に構図のところもこだわりましょうという聞き方もできるのかなと。
そのために高性能なレンズと高画素機を用意するから、いい写真を残してね、というメッセージなのかなと感じる。
おわりに
なぜライカの写真に惹かれるのか。なぜここまで心奪われるのか。今回は絵画という観点で考えてみた。
ただ見たままを写す、なら周辺光量落ちとかいらないと思う。カメラボディ側でも補正は可能なはずだけど、それを残している。ライカは見たままを写すということを純粋に追いかけてない気がする。あくまで写真としての仕上がりに重きを置いているのではないか。そしてそこへの哲学は絵画に通じるものがあるように感じた次第である。本当かどうか知る由もないが、ライカのカメラ・レンズ設計の深いところにそういうものがあるのではないかと。そして、僕が所有してる古いレンズは40年前のSummircon-M 50mm 3rdまでだが、昔から今に至るまで一貫しているように思われる。
スマホのカメラの画質は数年もあれば一眼カメラに追いつくと言われているが、写真への哲学はどうだろうか。
なんでライカのカメラを使うの?と聞かれたら。
「なんかいい」写真が撮れるんです。そこに僕はこういう魅力を感じていて、それは…
と自分なりの想いを語るだろう。
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