この1年で、カメラとの距離感がずいぶん変わったと感じる。
体の一部。カメラと写真が脳と繋がっている感覚。
自分の見たものを記憶することを助けてくれる相棒。目と脳の機能を補助するマシンと言えば良いだろうか。
自分の手や足を交換したいと思ったことはない(アスリートだったらあるかもしれない)。それに近いというか、体の一部になったカメラはもはや替える対象として見なくなった。だから最近カメラ界隈の記事を読むことは激減。新しい製品を追いかけることは無くなった。興味があるのはライカという企業がカメラと写真の未来をどう見ているか、というポイントだったりする程度。
写真を見ると、家族が自分の方(カメラの方)を見ている。それは紛れもなく自分という人間がそこにその瞬間いたことの証明。
ライカMは、ピント合わせもシャッターも自分の手でのマニュアル操作。その写真がそのピント合わせでその瞬間に撮られているのは、自分がそこにいてシャッターを押そうと思ったから。
そして、それは、お父さんにしか撮れない唯一無二の写真。
自分の記憶が、その写真からより鮮明に甦る。

良いと思う写真をSNSに投稿して誰かに何かを伝える、いいねをもらう、何者かになる、仕事にしてお金をもらう、さまざまな目的でカメラを持つ人がいるだろう。
何かに憧れてなんとなく始めたカメラと写真という趣味。一眼カメラを買ってから13年くらい経ったが、ついに行き着くところに辿り着いた感覚。
カメラが自分の一部になる感覚。
僕という人間がいなくなったとき、カメラと一緒に燃やしてもらうのだろうか。それともお父さんの一部としてこの世に残るだろうか。

ガラス越しの景色をのぞき、原則マニュアル操作のM型カメラは普通のカメラとは違う、何かがある。このカメラでなくてはこの感覚にならなかったと思う。EVF&オートフォーカス&連射機能有りのカメラではそういう感覚にはならなかったのではないかと。
以前は測りかねていたカメラとの距離感。もはやその「距離」がないという感覚。
次のステージがあるのかわからない。
ただ、僕はもはや自分の一部となったライカMで写真を撮り続けるだろう。

















