経験上強く感じることがある。
「書くと頭に入る」
他にも有名なのは「人に説明すると勉強になる」。これは説明するためにしっかり理解し整理しないといけないから。また自分の言葉で話すと頭に残る。
本田宗一郎さんが、絵を描こうとすると機能や本質を理解しないと正しく書けない、という趣旨の言葉を残しているが、「書くと理解が深まる(もしくは書くために理解しないと書けない)」のはそうなんだと思う。
これを感覚的に理解しているので、僕は仕事でも徹底的に資料を残そうとするのかもしれない。とにかく資料に残す。僕はプラントエンジニア系なので、その設備の概要や課題、計算方法、判断した理由、試験結果etc.を文章・式・スケッチを駆使して資料にする。
ブログもそう。とにかく書く。
自分で書くというのは、まず頭の整理になる。整理できてないと書けない。
そこから手を動かして(手書きでもタイピングでも)文字を打つことで一度アウトプットする過程があって、その後もう一度読み直すことでまた頭に入れる。
こんなサイクルを通じてものごとの仕組みや詳細が頭に定着するのかもしれない。
続いて、資料を作ることのメリットをいくつか挙げてみる。
フィードバック
アウトプットすると、コメントがもらえたりする。ここがわかりにくいとか、もらうコメントを読んで「ああ、そういうふうな捉え方もあるのか」と気づくこともある。こういったフィードバックがあってまた自分の感度を高めたり書き方を工夫できるようになったりする。
また、何ヶ月か何年か経って自分の資料や文章を読み直すこともある。ああ、ここがわかりにくいな、とか気付いたりするもの。当時の自分は何が言いたかったんだろう、と。こういった経験を繰り返すことによってアウトプットの能力を鍛えていく。
まだまだだけど。
「間違ってはいけない」と考える
何かを作るということは、間違った場合に指摘や非難を受ける可能性も生じる。
だから一生懸命調べる。このとき眺めているだけのときとは違う集中力で物事を調べるので、頭に入る質というか密度が違う。
そしてそれを自分の言葉や絵で資料に落とし込むのでさらに頭に入る。残る。
こういった適度なプレッシャーは自分を成長させる。
もちろんミスしない人なんていないと思うので、間違うことはある。間違ってても資料が残ってれば後の人は経緯を終える。資料はないよりあったほうが絶対にいい。資料を全く残さない人もいるが、当時どう考えどういう対応したのか分からないのは、本当に困る。
資産となる
調べただけでは後世に残らない。それをエビデンスや参照資料の情報とともに資料に残すことにより後世に役立つものとなる。それは会社の資産となる。もちろん自分の実力向上につながるため、自分の資産ともなる。
会社で得た情報はブログに書くべきではないと考えている。だから僕のブログには仕事で得た情報は載せない。あくまで一般論や自分で感じたことを書くだけにとどめるようにしている。
会社とは一切関係ないところであればどんどんブログに書く。困っている人が検索で見つけて読んでくれて、それが役立つならこれほど嬉しいことはない。
自分で学んだことをまとめることは意味がある。それも自分の資産だと思う。
おわりに:書くと頭に入る、そのメリット
ということで、僕のスタイルはとにかく資料に残すこと。
すなわち書くこと。スケッチや文章をひたすら書く、形にする。
これによってたくさんのメリットを享受してると思うので、おすすめする次第。合う合わないはあると思うけど参考になれば幸いです。
その他、仕事のスタイルに関する記事
- 徹底的に調べて、考える、そして資料に残す。仕事のスタイルの話。(2020.2.6)
- 段取り八分。仕事をうまく進める上で大切な心持ち(2021.2.4)