僕はなぜLess is More.をかかげているのか。ミニマリストを名乗るほどではないが、考え方そのものには強く影響されている。
以前「なぜモノを減らしたいと思うのか」について自己分析したが、そのときの答えは「時間」だった。
たまに、ふと自分を分析することがあるのだが、最近もう一つ気がついたことがある。
なぜ少ないモノで生活することを志向するのか?
それは将来世界を転々と生活したいと思っているから。
4年弱ほど、僕は日本人ではない上司のもとで働いたことがある。
とある日、雑談のなかで、その上司はこう話していた。
引退した後の理想の生活はこうだ。
1年のうち数ヶ月は母国で暮らす。もう数ヶ月はオーストラリア。2ヶ月ほどは日本。全ていい季節のときだけそこで暮らすんだ。
なんて素晴らしい人生。
これが僕の頭の中に残っている。無意識化でこれに憧れている。
日本は素晴らしい国。ご飯は美味しいし安全だし、景色の綺麗な場所はたくさんある。
ところが春は花粉に悩まされる。
桜は最高だが、咲いている時期は短い。ずっと日本にいる必要はない。
日本の夏、東京の夏は正直快適とは言い難い。
その代わり南半球のオーストラリアは逆の季節。過ごしやすい地域もある。ニュージーランドも良さそう。
日本にこだわるなら北海道がいい。
秋の日本は素晴らしい。文句なし。
日本の冬は寒い。
12月に訪れたオーストラリアのタスマニアは素晴らしかった。
行ってみたい国や街もたくさんある。
スペインのバルセロナはとてもいい気候で、人々も明るくいい街だと聞く。
カナダもいいらしい。
夕日のキレイな街にも住みたい。海に沈む夕陽がキレイな…
何が言いたいかというと、いい季節が訪れているタイミングの国を、数ヶ月毎くらいに移住しながら生活する、ことに憧れている(ようだ)。
頻繁な移動は疲れる。数ヶ月おきくらいがいい。それを実現するには荷物の少ない人生を達成する必要がある。
僕はそれを目指しているようだ。半分無意識に。
家具家電を持ち運びながら転々と移動するのは難しい。
スーツケース2個、ないし3個に全ての荷物が入るのが理想。アコギだけは無理だけど。
本を全て電子化した、のは最近のことだが、これもこの理想の生活を目指す過程の一つなのかも。
ゆっくりと落ち着いてその街を楽しむ。カメラを持って散歩なんて最高。
いいカメラが欲しいと思うのはこれが理由なのかも。
すごくお金に余裕がないとできないけど、理想の生活を目指して行動しなければ1mmたりとも近くことはできない。資産形成についていつも考えているのは、これに対する準備か。
英語のスキルは維持したいと思う。
もしかすると将来海外での生活を意識しているからなのかもしれない。
人は向いている方向に移動する。
スキーをやっているときにそう習った記憶がある。
日々Twitterをながめるのも楽しいけれど、遠い将来を想像しながら今何をすべきなのか考えるといいかもしれない。
気がつくと無意識に自分が向かいたい方向に近く決断をしているはず。
ふと考えてみた結果、僕は将来、いろんな国でいい季節を過ごすという理想に向けて日々を過ごしているようだ。
二十数年後、実現しているだろうか。
今日の独り言おわり。