はじめに。。「どのカメラ・レンズの組み合わせがベストなんだろうか。」この問題に最近脳みそを支配されてる感があって。結論を出したくて文章にしながら考えてみたもの。
結局特段の結論も出なかったので公開するかどうか悩んだものの、後日リライトすればいいかなと思い投稿しようと思う。考えることが大事、ということで。。
なぜ写真を撮るのか。
なぜカメラを持つのか。
最適なレンズとカメラの組み合わせはなんだろうかと考えていて、この本質的な問いに行き着いた。
自分の見た光景や景色を記憶したい。だからカメラで撮って記録する。
これが僕に撮っての「写真を撮るということ」だと思われる。
僕は忘れっぽいので、道具に自分の不足するところを補ってもらおうとしているのかもしれない。見て、記録するという機能。
レンジファインダー越しに実際の光景を目で見ながらシャッターを切れるライカM型に出会ったのは、必然だったのかもしれない。
そしてその道具が自分が気にも留めなかったことを気づかせてくれることもあるからカメラは面白い。カメラがあるからこそ被写体を探し、何かに気づくこともある。カメラがそれをに気づかせてくれる。だから相棒と呼ぶこともある。
過去を振り返ることにどれだけ意味があるのかわからないが、昔撮った写真を見れば気持ちが前向きになったりもするし、また旅に出たいという意欲をかき立ててくれたりもする。未来のために、写真を撮ってるのかもしれない。
自分が行った場所、見た光景を記録するために、自分の目の視野に近い標準画角のレンズが必要。なぜ自分は28mm-50mmくらいの画角のレンズに惹かれるのか、の答えもここにあるのだろう。
自分にとっての写真のスタイル
日頃から、普通のカラー写真、を撮っている。
前述の通り「見たものを記録する。」がベースにある。
Rawデータを思いっきり編集して現実から大きく離れた雰囲気にしたりすることはしない。それを否定してるわけではなくて、アートとしてすごくいいものだと思うのだけど、僕が写真を撮る理由はそうじゃないから。
僕の目に入る光には色がある。だからカラーで撮りたい。モノクロ写真もかっこいいし、見る側の想像力をかきたてるアートだと思うんだけど、それも僕の目的とは合致しない。たまにシャープな写真に仕上がるモノクロで撮りたくなることもあるけれど。。
なぜ背景がボケる写真に惹かれるのだろうか。
自分の目で見たときも合焦点以外でボケていて、それに近いからなのかもしれない。手前のものに目の焦点を合わせれば、後ろのものははっきりとは認識できない。人間の目も被写体にフォーカスする機能があるのだろうか。
なぜ90mmの望遠よりなレンズとか16mmといった超広角レンズを欲しいと思わないのか。それは自分の見た景色とは大きく離れた世界だからだと自己分析する。そういった世界があることは理解しつつ、そこは僕の写真を撮る理由とは合致しないんだと思う。
記録することが目的だとして、なぜSNSやブログで写真を載せるのだろうか。多くの人にも見てもらいたいからかもしれない。素晴らしい場所、景色を共有する。それに対してポジティブな反応があったら嬉しいものだ。
ただし、家族の写真はたとえ人に見せたくなるほど素晴らしいものだとしてもウェブ上には載せない。プライバシーやセキュリティの問題もあるから。
僕の写真に対するスタイルを考えてみたけれど、こんな感じだと思う。だから、カラーでステキな写真が撮れるカメラとレンズが欲しくなる。
自分の見た景色とレンズ選び。なぜ何本も欲しくなるのか
自分の見た景色、と一言でいっても、画角を1つに絞ることは非常に難しい。
景色を見るときは視野を広げる意識で見てると思う。
よく35mmや50mmが標準レンズと言われるけど、広大な景色を見ているときは28mmでも見えてる範囲はカバーしきれてないのではないか。
一方、目の前のものを見たり、集中して見られる範囲という意味では35-50mmが近い印象を受ける。
これは人それぞれ違うだろうけれど、僕はこんな感覚。
だから1本だけ選べ、と言われると難しくなる。
初めてのミラーレス一眼、Sony α7+キットレンズを買ったとき、2013年頃だったけど、僕はどっちかっていうと旅行に持ち出すイメージだった。他には夜景が綺麗な場所に行ったり、雪が降ったときとか非日常で使うイメージだった。だからズームレンズを広角気味に使うことが多かったと思う。
ただ、このときも「人」には興味があって、その景色の中にいる人にもフォーカスを当てて写真を撮ったりしていた。
結婚して、家族を持ってから、より近い距離で人を撮るようになった。ポートレートというやつだ。
そうしたらきれいにボケるレンズが欲しくなった。2017年、人生で初めて単焦点レンズを買った。55mmの。
素晴らしい写りをするレンズだった。
ただ、景色を撮るには狭い画角に感じた。
その後Leica Q2(28mm)を買って1台でやりくりしていた。Q2はクロップ機能があって35mm、50mmや75mmでも撮れる。その後M型が欲しくなり、M10-RにSummicron-M f2/50mm 3rd, Summilux-M f1.4/50mm ASPHを使っている。50mmという画角専属のレンズで撮る50mmはまた違う写真で、すっかり虜になってしまった(ちなみにこれら全て単焦点レンズ)。
僕はこの10年、自分に合うレンズを無意識に探す旅をしていたのかもしれない。
この文章を書いていて、気づいたことがある。
僕はなぜ複数のレンズが欲しくなってしまったのか。自分で見た光景とはいっても、脳が景色広く見ているときと目の前の被写体に集中しているときで、自分の眼の視野も違うからに違いない。
よく標準画角は何か?という話があるが、時と場合によって違う、というのが答えなんじゃないだろうか。
だから複数のレンズが必要なのだ。欲しいのだ(レンズ沼にハマることを正当化してるようにしか思えないが)。
そして、それぞれのレンズには個性がある。同じ焦点距離でも写りは違う。あとはどう記録したいか、の違い。
広角側は現状Leica Q2でカバー。Q2はクロップ機能で35mmも50mmも(75mm)もいけるので万能。本当は50mmくらいまでこれで十分なはずだったのだが、M型のSummilux-M f1.4/50mmのクオリティが想像以上だった。立体感、被写体を引き立てる感じ。ポートレートはこれ以上のものはないんじゃないか、そう思えるレンズに出会えた。人や家族を記録するレンズはこれになると思う。
現実に近いように撮りたいならSummicronの方が向いてるだろう。この辺りの棲み分けはまだ整理がついてない。
おわりに
僕らは自分の目で世界を見ている。生まれてからずっと。
しかしカメラは、違う世界を写すことがある。モノクロの世界にはまた違う魅力がある。色だって絶対コレだというものはない。光の当たり方、見る角度によって違って見えることもある。
自分の目では気づかなかったようなものも、解像度の高い写真から見えることもある。
新しいレンズは違う世界を見せてくれる。世界を広げてくれる、自分の目が増えるということだ。
だから人々はレンズ沼にハマるのではないだろうか。あのレンズなら違う世界が見えるのではないか、と。
これがレンズ沼にハマる理由だとしたら、永遠にこの旅は終わらないだろう。
なぜならば世の中には無数のカメラ、レンズがあるから。
オールドレンズまで手を出せば、同じモデルでも個性があったりしてもうそれこそ永遠に旅は終わらない。ただ、一生楽しめる趣味とも言える。お金さえあれば。。
究極によく写るレンズを求めていたら、LeicaのApo-Summicronのようなレンズが出たら結局最新のレンズが欲しくなる。おわりはない。
なんでいろんなカメラやレンズが気になるのかな、という疑問。
考えていてたどり着いた問い。
「なぜ写真を撮るのか」
ここを追いかけていったとき、最適なレンズの組み合わせに近づけるのかもしれない。
そう思ったけど、結局いろんなレンズが気になることに変わりがないことに気づいた。
まだまだ僕の旅は長くなりそう。
ただ、「写真を撮ること」が常にメインであるべきだから、そっちを主軸にものごとを考えていくべきだと思う。それも今回の気づき。
今日の独り言おわり。