先日、2度目の米国PEライセンス更新を完了した。
引き続きエンジニアに関する仕事をしており、日本の文化的にそれ以外の仕事も多いのだが、とはいえエンジニアを名乗っている。
以前メールの署名にP.E.と書くかの記事を投稿したが(P.E.をメールの署名に記載するか否か。その記載パターン。)、今は名前の右に入れるようにしている。
自分はP.E.を意識して仕事をしている、という自覚は少なからず意思・行動に影響を与える。
変な判断はできない、とか、戒める意味でポジティブな部分もある。
一方、会社・サラリーマンとしては多少筋悪くてもそっちに話を持って行きたい力が働いている、というシチュエーションで困る。P.E.としては公共の安全や福祉のために判断するベースがあって、それってどうなんでしたっけ、という際に困る。安全に関しては絶対だから悩まないとして。世の役に立つか、人々に価値を提供できるかという観点においては考え方次第でどっちが絶対正解という話もないので、自分が正しいとも思わないが、悩む。これまでの歴史だったり流れだったり、自分の知らない部分で重要なポイントがあったりするのでできるだけ理解するように努めてきた(ぶつぶつ言いながら)。やるべき理由があるはずだ、と考え、根っこから調べ、人に聞き、自分で計算したりしながら意義を探していたらもう1年が経ってしまった。合う合わないの話なのかもしれない。知らないことはたくさんあって、今でも新しい知識を得られる面白い分野の仕事ではある。
最近はPMPの勉強をしているが、また違う視点も持てて面白い。ニーズを理解しにいく心持ちだったり、コミュニケーションの部分だったり。Agileの重要なポイントの一つに、目的や意義をみんながちゃんと理解して個々人が自律的に動くこと、があったりする。大事だな、と改めて考える。
誰のために何の役に立つ仕事をしているのか。長いこと仕事してきたが、これほどフィットしなかったことはない。人生いろいろあるものである。
エンジニアはエンジニアリングによる価値の提供をもって世の中に貢献していくわけであるが、これといったやり方を見いだせない今日この頃。P.E.としてどう振る舞うのか。
何かを悟る日はくるのだろうか。