なかなかのストレス度。
これまでも多くのストレスフルな仕事をしてきた。
2011年の東日本大震災の後、1年くらいは家に帰らず仕事をする日々だった。でも日本のために、みたいなところもあって、精神的に参ることはなくて意外とストレスはなかった。
一度だけ眩暈がしてパソコンの画面を見れなくなってしまって、その日は紙の図面や設計資料をチェックした記憶がある(家に帰れって話だけど。。その日は8時間寝て回復を図った)。
オーストラリアにいたときもプロジェクトの後半はなかなかのプレッシャーがあって。原因不明の頭痛で緊急で病院に向かったこともあった。英語で頭痛の症状を説明するのが難しかったなぁと記憶している。
2018年頃もなかなかしんどい時期があって、会社を辞める寸前まで行った。というかやめるつもりで行動して海外のPJにCV(経歴書)を提出し、英語でTelephonic interview(面接)を受け合格をもらい、スムースにいけば今の会社を去っていたはずだった。
ここはブログに記事が残っている:
- 何年も働いた会社を辞めるか悩んでいるときに読みたい本。組織の中で働くということ(2018.5.28)
- 課長を3年やってみて。学んだこと、大変だったこと。ひとつ言えるのは、長い人生、チャンスがあるならやったほうがいい。(2021.02.22)
- 人生の大きな岐路に立っている。今の生活を続けるのか、チャレンジするのか。心の声に従うか。(2019.3.1)
ところがCOVID-19の影響でPJが一旦中断。また海外渡航も難しくなり結局流れてしまった。僕の人生のターニングポイントになるだろう。
2019年下期は仕事人生で最も上手く行ったときで、トラブルが少なくて定時に帰れる日の方が多いという状況だった。
残念ながら異動ののち再び厳しい状況に。トラブルが起きれば深夜土日関係ないことに変わりがないが、その頻度が激増した。
2021年は一度自分で頭をグーで叩く癖がついたが、やばいと思って自制するようになった(ここで頭のねじが何本も外れてLeica M10-R Black Paintを買った、ということにしている…)。
年末は最終日までトラブル対応、年始も毎日何かしら連絡が来る日々。
公式な営業日になってからはフルスロットルでスタート。
最近はイライラがピークになると自分のおでこをひっかくようになり、こちらは外から見てもわかるくらい顔に傷が増えてしまった。最近、徐々に人に気付かれ指摘されるようになった。
流石に鏡を見ると、これはどうかなという気もしてくる。
あらためて記事を書いてみて思うのは、僕はストレスに強い方だなということと(離脱したことはない。最後まで戦い切る)、一方でストレスを受け流す術を持ち合わせていないな、ということ。
定時になったら仕事なんてほったらかして帰っちゃえばいいんだろうけれど。プラントエンジニアとして責任感持って対応しないというのはないと思っているので。
なんとかする、という心持ちこそが武器というか、そういう人がいないと日本や世界は安定して稼働しない。
ここがジレンマなんだな、というのが記事を書きながらの気づき。
ブログを書く意味はここにある。
自分はどうしたいのか。考えるきっかけになる。
プロジェクト初期の設計は比較的納期に余裕があったり、何かあっても後回しにしやすいのでストレスが少ない。プロジェクト後期は納期が厳しいとなかなかのプレッシャーがかかる。がここを乗り越えると相当成長できる。
一度プラントが動き始めればメンテナンス計画・実行や稼働中のトラブル対応。
選べるならやっぱり設計の初期のところがベストだな。。
ただここに入り込むのって難しいんだよなぁ。と。
ただ何も考えずに日々を過ごしてたらそのうち顔が傷だらけ血だらけになりそうなので、ちょっと本気で今後を考えようかなと思う。
苦しいのは時間に十分な余裕がないことだ。