なんて小説を書いてくれたんだ、伊坂幸太郎さん。
そんな気持ちになった。
珍しく読み進まなかった。読み始めてから読了まで何日かかっただろうか。
この記事で感じたことを書き連ねるが、ネタバレにつながる可能性もあるので、これから本書を読もうと思う人はこの記事はお勧めしない。
内容や本編の内容をストレートに書くつもりはないが何を思ったかを書いていくので、その点ご理解いただければと思う。
「火星に住むつもりかい?」から感じたこと
何か哲学的な、世の中を皮肉るというか、煮え切らないところを描くというか、そんな小説に感じた。
この日本より住みやすいところがあるか?
そんな内容が途中であったが、その通りだと思った。日々の生活で不満はあるけれど、日本を出ればもっと厳しい世界はたくさんある。
ひどい世界を描いたこの小説そのものも、それを体験させてくれるモノの一つかなと感じた。
現実かフィクションの世界か
所々で描かれる、平和警察が個人情報を当たり前のように検索するシーン。
アメリカからロシアに亡命したスノーデンさんが記した世界。我々は監視されている、というのが本当の世界にもあるらしく、それが小説の世界でも書かれているのはなんというか色々考えさせられる。伊坂さんはどのような気持ちでこの世界を小説内に作ったのだろうか。
こんな世の中やだなって感じで書いたのかな。
現実っぽくも現実と違う世界を描くのは本当さすが。いや現実か。
哲学的な話
失敗や恐怖の記憶は、生き延びるために生き物として忘れてはいけない。だから記憶に残る。そんな話もあった。
たしかに忘れたいことほど頭に残ったりするもの。人間が生きるために身につけた能力なんだろうけれど、余計に思うこともある。
一方で、人間はある程度自分の外側にあることを認知しないようにできてると思われる。
世界では今も多くの人たちが苦しい状況にある。でも僕らは日々の生活をしている。何か不幸があったから自粛、なんてしてたら毎日自粛しないといけない。
身内に不幸があれば年賀状を出さないが、ある意味そういう考え方を身内という範囲に抑えているとも言える。どこかで戦争があったらそれは悲しいことだし、新年をめでたく迎えられない気持ちの人もいると思うけど、それでも僕らはそれらを遠くに感じれば「あけましておめでとうございます」と正月を祝う。
どこかで踏ん切りをつけるというか、バランスをとるというか。
「正当らしい」理由を見つけるということ。
考えてしまう。
全てに整合させることなんでできない。だから何かをする時は理由が必要になる。
誰かを救うなら、世界中の人を救い切らないと何もできないことになる。だから理由をつけてこの範囲の人を救います、としなければならない。
それで救われる人と救われない人に差がついてしまう。
でも何もしなければ誰も救われない。何かしたら偽善だとか人気取りだとか言われる。
めちゃくちゃ考えさせられる問題。
僕はかなりロジカルに物事を考える方。周りの人にもよく言われる。ロジカルすぎるくらいのことを言われたこともある。
行動するときに理由をつけたくなる癖がある。「コウコウコウダカラこうしよう。こうします」
仕事ではすごく役立つ。判断には説明責任を問われるから、常にロジカルに説明できるよう頭が働く。しかし私生活でそれをやると窮屈になる。もっと自由に考えていいよね、と。
ところがそれに対して、この小説で強烈なメッセージを叩きつけられた感じ。
人を救うとしても何をしても偽善だと言われる可能性がある。全ての人なんて救えない。どう考えて、どう折り合いつけて行動するか。それは正しいのか。
正しく生きようとしたって全てに整合をつけるなんて無理じゃないか。じゃあどういう理由をつけて折り合いをつけて生きていくんだ。
そんな難しい問いをぶつけられてしまった感じ。
ああ、読まなきゃよかったな、というのが最初の感想。考えさせられたといえばポジティブかもしれないけど。
これがいつか読んでよかったな、になるかどうか、それはわからない。もう一度読むことはない気がするけれど、ただ、触れたくないものに正面から触れ、ガツッと頭を殴られた感じ。
なお、最後に伏線を回収して物語を終わらせるところはいつもの伊坂幸太郎さんそのもの。そこは裏切られることなく楽しめた。
そんな、小説でした。