子供とその辺に出かけたときのお話。
僕はLeicaのカメラを持ち、我が子(4歳)は15年程前のIXY didital(昔使ってたもの)。
家を出るとき、いつものように僕がカメラを肩にかける。我が子も「自分のカメラ持っていく!」と。でもどっちのカメラも持ち運ぶのはお父さん。。
ふと休憩したとき、僕がファインダーをのぞきカメラを向けたら「自分も撮る」、と。
そしてこちらが「写真を撮ろうとする我が子」を撮ろうとしたら、「ダメ」と制され逆に写真を撮られた。
タジタジとしているお父さんが写っていた。
この写真は今、自分のiPhone/iPadに移して大事に保管してある。
画質なんかで言ったら、フルサイズで撮ったものと比較にならないけど、iPhoneやiPadで見る分には拡大しなければそこまで酷いものでもない。
そこに自分が写っている。Leicaのカメラを持った自分が。とても不思議な感覚。
これまでたくさん写真を撮ってきたけれど、非常に思い入れのある写真になった。子どもに初めて外で撮ってもらった写真。
お父さんが写真を撮るのが好きで、それを見てなのか子どもも写真を撮ることを楽しんでいるように見える 。
写真てなんだろうな、ということを考えるきっかけになった。
おそらく他の人が見てもなんの変哲もない写真。だけど、撮られた側からすると宝物。
別に誰かに見てもらう必要もないんだよなと。
InstagramとかTwitterを開けばたくさんのステキな写真があふれている。
人に見てもらうのもいいかもしれないけど、自分が楽しめてればいいんじゃないかと。
いろんな撮影スキルは勉強するとして、そういう自分の大切な瞬間を撮るのがいい気がした。
いいカメラを使えば表現の幅は広がるし、いい写真を撮れる確率は上がる。だからカメラにはこだわりたい。
でも本当に大事なのはカメラだろうか、写真だろうか、と考えたとき。
そこだけじゃないなと気づいた。
すばらしい瞬間があるかどうか。それを記録するデバイスがカメラであって、その瞬間を楽しんでることが大事なんだ、と。
その瞬間を切り取った写真は宝物になる。それをお気に入りのカメラでクオリティ高く撮れるなら最高。
ということで、いい時間をどれだけ過ごせるか、が大切なのかなと気づいた今日この頃。
逆に使いたいカメラがあれば活動的になるだろうから相乗効果もあるかもしれない。持ち歩きたくなるカメラはそういう意味で大事なのかも。
写真・カメラを趣味にするということ。その本質はなんだろうかと考えたことをメモした記事でした。