最近、不思議な感覚がある。
大根が美味しければ、大根を美味しくする季節や、作って届けるまでに携わった方への感謝の気持ちが出てくる。そして大根のおいしさを味わう。
白いご飯(お米)が美味しくて、おかずを食べずに、ひたすら白いご飯だけで何口もいけてしまう。ああなんてご飯は美味しいんだろうと。感謝。
いい光が差し込んでいたら、太陽に感謝する気持ちになる。カメラを持っていなくとも。
子どもたちが元気に過ごしていれば、まあこれが全てだよなとも思う。出張から帰ると、喜んで出迎えてくれる。
余命あと数日です、と言われたら、もっと生きないと、と頑張るだろう。とはいえ、あれをあのときやっておけば、、という後悔はない。ある程度の年齢になってから、考えながら自分で意思決定してここまでやってきた。もっと幅広く勉強しておけばよかった、と思うことはあれど、昔はGoogleもなかった時代、あれ以上のやりようがあったかといわれると難しい。人として未熟だったと思うことはたくさんある。僕は人としてポンコツなので、足りないことだらけだし、多くの人たちに迷惑をかけて生きてきたが、それなのに、自分自身、なぜか恵まれた人生だった。
先日、『43歳頂点論』という本を読んだが、別の意味で、40代は人生の折り返しなように思う。
自分があれをやりたいとか、ああなりたいとか、そういうことよりも、自分は何を残せるのか、の方に思考が向かっている。
そういう意味で、やりたいことはたくさんある。
また、子どもたちの将来を考えたら、こうしてあげたい、というものもある。
どこで何が起きるかわからない。明日死ぬかもしれない一方、あと40年生きるかもしれない。そう考えると先は長い。日々に感謝しつつ、誰かのためになる、意味のある何かをしたい。
大きく行動に移すのは、60付近以降になるのかもだが、アイデアはたくさんあるので、具現化に向けて、準備をしていきたいところ。エンジニアとしてここまで積み重ねてきた技術力と経験は還元していきたいと思うので、当面はそちらを主でやっていきつつ。
まだまだ悟りの境地に至らないし、全くそこに届く感じもないのだが、前に進んでいる感覚はある。
魂の成長という言葉があるが、日々を過ごしつつ、すごいスロースターターだが、結果的に成長していればいいなと。
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