足を知る、という言葉がある。
今の生活でも十分素晴らしいと思えるかどうか。
30も後半になって、欲しいものはあれど、なくてもいいかな、と思えることも多くなってきた。
でもひとつ、圧倒的に足りないと思ってしまうものがある。
時間。
1日24時間しかない。これは皆平等だ。
しかし….
- 本読みたい
- 資格取得にむけて勉強したい
- 健康のための運動の時間も確保したい
- 家族との時間を増やしたい
- 旅行に行きたい
- 素晴らしい景色を見たい
- 写真撮りに行きたい
- 写真の編集をちゃんとしたい
- ブログ書きたい
- もう一つのブログも力入れたい
- Instagramもっとやってみたい
でも睡眠時間は確保したい
あれも学びたい。これも学びたい。
- ああ、ギターも最近弾いていない、音楽楽しみたい
- 投資もほったらかしスタイルだけど、もっと勉強したい
ああ。
時間が足りない。
僕はLess is More.とかSimple is Best.とかミニマリストといった考え方に強く影響されている。
しかし減らすことが目的ではない。豊かな生活をすることが目的だ。
ふと考えた。
なぜこんなにもモノを減らしたいと思ったのか?
なぜ減らすと豊かになるのか?
いや、豊かになると信じているのか?
最近考えてしっくりきた。
時間をもっと確保したいのだ。
好きなことに没頭する時間を。
僕はミニマリストを名乗ることは基本していない。なぜなら欲しいものは欲しいから。それは多分世の中一般的なミニマリストのスタイルと合致しにくい。
Apple製品とか、革製品とか、たくさん持っている。いいモノを見つけたら欲しくなる。
しかし不要なものは減らしたい衝動にかられるときがある。
おそらく、それは、時間を確保したいから。
きっとそうだ。
スティーブジョブズさんやオバマさんは、日常の意思決定の回数を減らすために洋服の種類を減らしたという。人間は意思決定をするときにパワーを使う。そのパワーを余計なところに使いたくないということ。彼らは決めることが多すぎるから。
僕は余計なモノに時間を奪われるのがイヤなんだと思う。そう自己分析する。
- 余計なものがあれば、探し物の時間が増える。
- 余計なクレジットカードを持っていれば、管理の手間が増える。
- 着ない服を持っていると、コレいつかまた着るかな、と悩む時間が増える。
- モノを持つとそれがどこにあるかを覚える必要がある。検索で一発で見つけたいからいろんな書類を電子化する。
そのかわり、自分が好きなことにはたっぷり時間を使いたい。
家族と過ごす、欲しいモノを手に入れ愛用する、旅行に行く、ブログを書く、etc.
広義のミニマリストとして、「好きなことをする時間を確保したい系ミニマリスト」というカテゴリーがあるのなら、僕はそれに該当するかも。
今日の記事は思いつきで書いたものだけど、とってもスッキリした。
なぜ自分はモノを減らしたいと思うのか?
よく何かを捨てたくなる人は、一度落ち着いて考えてみると自分の奥底にある何かを見つけられるかもしれない。
続きの記事:将来実現したいこと。ミニマリストの考え方に影響され、モノを減らしたいと思う理由 [シリーズ2]