ここ最近ずっと勉強していた資格試験が昨日終わった。
年一回の国家試験。公害防止管理者というものを受験した。
ここで失敗ならまた来年、そんな試験である。
情報社会の現代、何かを調べようと思えばすぐに調べがつく時代。
法律も調べようと思えば調査は難しくない。
細かい内容は覚えていなくても、検索すればだいたいの関連条文にすぐにたどり着ける。
統計上の記録やトレンドを調べることも難しくない。
日々変化していくものを覚えることに意味があるとは思えない。トレンドに興味を持ち、傾向を把握することには意味はあると思うけど。
だけど、国家試験なんかでもまだ重箱の隅をつつくような問題が出題されたり、そんなん覚えてどうするんだ、といった内容にぶつかることも多い。
調べれば分かることをなぜ覚えなければならないのか?
覚えることが多い試験に何の意味があるのか?
貴重な脳みその枠をなぜそのために空けなければならないのか?
考え方やその法律が定められている理由を覚えるなら理解できる。法の精神を理解することは業務遂行する上で極めて重要だ。
しかしなぜ記憶力を問う問題を、しかもときに重箱の隅をつつきながら出題するのか。
僕はずっと疑問に思っていた。
記憶力を問う問題を作る側になって考えてみる
自分なりの理解は以下の通り。
覚えようと思うことにより、一生懸命その内容や考え方まで理解しようとする。
きっとここに意味がある。
細かいところを問う、ということは、全体から細かいところまで理解しておいてね、ということだろう。
一度理解したものは体に染み付く。考え方もなんとなく一回腹に落ちる。
そうすると実務で必要に迫られた時に、そうそうそんな話あったな、となる。
だから答えだけ覚えるというのは本質的じゃない、資格を取るためだけの勉強になってしまう。
考え方や問題の本質、知っておくべきことはなにか、ここをイメージしながら勉強する必要がある。
もちろん「資格を取るための勉強」は否定しない。世の中、結果が全て。最後は結果を出すために多様な方法を取ることも必要。
でもその前に、本質的にはその資格を使って仕事をする(もしくは仕事に活かす)ことが目的なわけだから、そこを意識した勉強にまず取り組みたい。
きっと試験を作成している方もそんな想いをお持ちだろう。きっと…..
答えに至るプロセス、考え方や出題者が受験者に理解してほしいことを考えながら勉強することが大切なのかなと思う。ただ答えを覚えるだけではなくて。
覚えるばかりでこの資格試験は面白くない!といっているだけでは勉強もつまらないですから。。。
すこしでも有益にすべく、勉強の仕方も工夫し意味のあるものにしたいものです。
オマケ
あと、単純に資格試験の合格率を安易に上げない、といった目的もあろうかと思う。
ある程度努力しないと受かんないんだぜ!
というメッセージが込められているのかなと。
幅広く出題されるなら、頑張って幅広く勉強せざるを得ないので、まんまと出題者の意図に従うことになる。それでいいのかなとも思うし。
まぁ不合格率が高い方が毎年の受験者数が増えて収入も….
おっと、きっとそれは目的でないと思いたい。